社会福祉法人 多摩同胞会

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理事のリレーメッセージ

理事10名が個人の経験や考えについて、毎月交代でメッセージをお送りします。

    

平成26年度(2014年4月~2015年3月)

2015年3月 理事のリレーメッセージ

人間臨終図巻

人間臨終図巻

奇想天外な数々の小説で名を馳せた山田風太郎のノンフィクション、『人間臨終図巻』という本が滅法おもしろい。

文庫版で全4巻という大冊なのだが、読み始めると興趣が尽きずに止まらなくなる。古今東西の歴史上の著名な人物が、没した年齢順に並んでおり、その数が923人。巻頭トップが、寺小姓の吉三郎に逢いたくて江戸の町に放火し火あぶりの刑に処せられた八百屋お七で15歳。ラストが長寿世界一で『ギネス・ブック』に登録された泉重千代121歳。

目次を見てゆく。目次からして変わっていて、類をみない。例えば「三十九歳で死んだ人々」には9人掲載、う~む、クレオパトラと太宰治と力道山は同年39歳で亡くなっているのか。続けて「四十歳で死んだ人々」には国定忠治、幸徳秋水、ジョン・レノンと並んでいる。ジョン・レノンと国定忠治、時代や国は違えども同じ40年の人生。キリが無いがもう一つ。明智光秀とリンカーンと越路吹雪が同じ56歳で没していて、何とも玄妙な気持ちになる。

貧窮のどん底26歳で亡くなった石川啄木について、「死後、日本の若者たちが『啄木歌集』に献げた印税の百万分の一でも生前に恵んでくれたら、と啄木の亡魂は歯がみしているにちがいない」と記され、98歳で大往生の画家・梅原龍三郎は89歳のとき新聞のインタビューに答えて「食事は、朝はまあトーストにキャビアだ。昼は牛乳を主としたスープにバターを入れ、塩と胡椒をふりかけたもの。夕飯はウナギの蒲焼に中華料理を三日に一度。……」という逸話が紹介されている。作家の五木寛之が「読む者の人生観を一変させずにはおかない」と評したこの書の著者・山田風太郎は2001年に79歳で没。生前に自ら定めた戒名を「風々院風々風々居士」という。 

理事 鈴木 龍一郎
(写真家・日本写真家協会会員)


 

2015年2月 理事のリレーメッセージ

献体の新しい流れ

ヴィオラ

中城イマ元理事長は献体され、医学生の教育のために身を捧げて下さいました。当時は学生の教育と解剖学の研究のみに用いられておりました献体も、活用範囲が拡がり、医療の発展のためにコメディカル(理学療法士など)や、より安全な手術法の開発、外科系医師の訓練などに欠かせないものとなって参りました。それらのご理解をいただくために、平成27年の日本医学会総会では公開シンポジウムを開催して、多くの方々に新しい献体を知っていただくことにしております。

理事  内野 滋雄
(社会福祉法人三徳会 理事長)


 

2015年1月 理事のリレーメッセージ

老後の生活基盤、株式運用で大丈夫か?

おみくじ

2014年10月末、アベノミクスを推し進めるために、「日銀」は追加の金融緩和を決めた。符丁を合わせる様に、「年金積立金管理運用独立行政法人」は公的年金積立金130兆円の運用について、それまで株式24%の運用枠を、50%にすると決定した。株価上昇の動きを捉えての方針ではあったが、年金の株式などでの運用の危うさは、バブル崩壊の折、厚生年金基金を運用する多くの企業年金の解散、崩壊で証明されていた。その経験があった筈なのに、アベノミクスと円安に伴う株価上昇に浮かれての安易な決定でなければいいのだが・・・。

昨年、ヨーロッパでの国際会議で、安倍首相が「日本には130兆円もの資金がある」と自慢げに宣言していた。その姿は、厚生年金の前身である、昭和16年に成立した「労働者年金保険」の帝国議会での審議の折の、「オ前達ガ一生懸命ニ働イテ呉レタ年金保険デ買ッタ公債ガ、是ダケノ飛行機ニ変ッタ、是ダケノ弾丸ニ変ッタゾ・・・ト言フコトニヨッテ、労働者ハ一層年金保険納入ノ成績ヲ挙ゲマセウ・・・」発言と重なって見える。年金が為政者の道具にされている事を知っておきたい。

理事  小笠原 祐次


 

2014年12月 理事のリレーメッセージ

歌謡ショー

街のイルミネーション

11月中旬、私は友とNHKの歌謡ショーに行きました。
「寒いし夜は危ない」との家族の声をよそに、家にこもりがちな彼が単身で出掛けるというのです。最近までは、歌好きな北海道の伯母と一緒したそうですが、一人暮らしでいた彼女も今夏から子どもと同居を始め、脚も弱って上京は無理というのです。私は、友の体力や道中を確かめておこうと同行したのでした。

夕暮れの渋谷は木枯らしが吹いて身も凍りそうでした。目的のホール前は既に数百人もの長い行列で、中高年の方も多く毛布や座椅子を用意した常連たちの会話が聞こえました。「これも修行」と彼。
夜八時に生放送がスタート。この日は某作曲家の生誕スペシャルで有名歌手が続々登場し、情緒たっぷり馴染みの曲を披露しました。3000人もの超満員の大観衆は、応援グッズやカラーライトを揺らし、会場いっぱいに黄色い声援を送り場内はもう最高潮です。

そう、私には解りました。このひとときこそ彼の至福の時なのだと。心に響く本物の歌声と会場の熱気、一体感、高揚感、群衆に漂う肌の温もり等など、彼は静かにうっとりとして視聴していました。
そこには、日常の孤独や退屈、無気力、心身の痛みも忘れ去る不思議な魔力が満ち溢れていたのでした。

帰路、「脚が痛い。いつ迄来られるかな」という彼に、「まだまだ大丈夫」と勇気づけして別れました。今日、その彼から「また紅白歌合戦に当選」と嬉しそうな声が。
『終活』『断捨離』など、越年予定の私自身の課題も含め、彼とよく話し合っておく必要性を強く感じました。

理事  関 道子
(多摩同胞会 サービス向上担当)


 

2014年11月 理事のリレーメッセージ

琵琶湖は河川?

琵琶湖

自宅からクルマで3~40分走ると名神高速の大津SAに着きます。名物の赤コンニャクもおいしいのですが、眼下に琵琶湖と比叡山などの山々が開け、しばらく見惚れてしまいます。むかしから海はなぜか怖く感じるのですが、静かな湖と山々の景色を見ているとホッと落ち着きます。

琵琶湖は、400万年~600万年前に形成された古代湖だそうで、119本の一級河川が琵琶湖に流入し、湖水は瀬田川に流出します。瀬田川は琵琶湖の湖水が唯一流れ出る河川で、そのため、滔々と流れるという表現が適した水量豊かな河です。瀬田川は京都府に入ると宇治川となり、三川合流(宇治川・桂川・木津川)により、淀川となって大阪湾に注ぎます。

先日、瀬田川沿いの紫式部ゆかりの石山寺を訪れました。名の通り奇岩の露出した境内は心拍数を高める急階段でしたが、多宝塔のデザインの美しさは格別でした。

石山寺に行くには、瀬田川にかかる瀬田の唐橋を渡ることになります。60年も前の小学生のころ、瀬田の唐橋を絵本か何かで見た記憶があったため、初めて見る唐橋に少し興奮しました。

ところで、最近、琵琶湖が河川法では「一級河川琵琶湖」の名称で規定されていることを知り、驚きました。流入する河川と流出する河川との中間にある琵琶湖も河川と言えないこともないでしょうが、しかし、琵琶湖の広大さと美しさを思えば、河川琵琶湖の呼称はシックリきません。法律には湖の概念規定がないことが理由のようですが、琵琶湖はやはり「湖」でなければ。

理事  板垣 光繁
(江東総合法律事務所弁護士)


 

2014年10月 理事のリレーメッセージ

あなたはどっち

発電所の煙突

先日、某テレビ局が行った世論調査で、政府が安全と判断した原子力発電所の再稼働についての設問があり、再稼働容認よりも反対の声が多かったと報じられた。放射能汚染で生活や産業基盤が失われ、3年半が経過した今でも安住の地が求められない家庭が多いなかでは当然の結果だと思う。でも、国民生活や産業活動を安定して継続的に展開していくために必要な電源を短期的、中期的、長期的に何に求めるかも併せて議論すべき時ではないでしょうか。

かつて大気汚染や地球温暖化が地球全体に大きな影響を与えることが大きく指摘され、その大きな要因である化石燃料の使用が国際的に重要な課題となったはずです。1997年には京都で「地球温暖化防止京都会議(COP3)」が開催され、温室効果ガス削減に向けての先進国の責務が定められた。調べてみたら毎年世界の何処かでCOP○○としてこの問題が議論されているようだが、国民の関心度は低下しているように思える。原子力発電では、安全に運転されたとしても使用済核燃料の処理方法についての大きな課題を抱えており、化石燃料による発電でも安全に運転されていても、地球環境へ悪影響を及ぼすことを考えるとただ原子力発電NOだけではすまされないのではないでしょうか。クリーンエネルギーが原子力や化石燃料に変わるまでには、まだまだ相当の年月がかかるとすると、短期的には、政府の保証を信頼したいがいかがでしょうか。

8月中旬のテレビで南のある島で海水位が上がり、すべての島民が隣の島に移住することを決めたとの報道があり、つい最近では北海道で原料である化石燃料の輸入価格の上昇によって発電コストが上昇し、これに対応するため値上げの申請が行われたが、道内の中小事業者は死活問題として反対していると報じられた。これに対して事業者から原子力発電ができるようになったら値下げするとの発言があったようだが、あなたはどう考えますか。

常務理事 石川 國雄


 

2014年9月 理事のリレーメッセージ

敬老の日から老人の日へ

家族支援センターの門柱

法人の本部は府中市武蔵台にあり、現在は門柱に「家族支援センター」と表札を出し、介護支援を中心とする泉苑と、子育て支援を中心とするしらとりが、東西に分かれて所在しています。そして0歳から100歳超までの児童福祉と老人福祉の施設になっています。

その関係で、特別養護老人ホーム信愛泉苑の敬老祝賀会には同一敷地内にあるしらとりの子どもたちが毎年お祝いのことばをもって参加します。
昨年は6年生のY子ちゃんが代表して、お母さんと一緒に敬老の日の創設の由来について調べ、その上で次のように結びました。
「人間は誰でも若い時があり、そしていずれは老人になるのですから、自分の人生を大切にし、人生の大先輩を敬い、敬老の日だけでなく日々の生活のなかでも優しさを忘れずに、楽しく年をとって生きていけたらいいなあと思いました」
自分の生き方にまでつなげて敬老の気持ちを伝えてくれました。

子どもたちからこんなにしっかりしたお祝いの言葉があって、とても感動しました。

一方、現在9月の敬老の日はとてもあいまいになってきています。Y子ちゃんが調べてくれたように、兵庫県野間谷村(現八千代町)、1947年当時の門脇村長が農耕作業が一段落した9月15日に開いた「敬老会」が発祥となり、全国に広がり1966年に「敬老の日」として祝日になったといわれています。

それから30余年、経済効果を生み出すために「ハッピーマンデー」と称して多くの祝日は月曜日に変更されました。敬老の日も2001年祝日法の改正で9月の第三月曜日に変更になりました。
この変更に門脇村長をはじめ全国老人クラブ連合会も大反対運動を展開しました。その結果、「敬老の日」は祝日法により9月第三月曜日になり、同時に改正された老人福祉法では9月15日は祝日でない「老人の日」と定められました。ちなみに今年はたまたま9月15日が第三月曜なので、矛盾なくお祝いができる年になります。

2000年から介護保険法が施行され、翌年2001年のこの改正です。経済効果を生み出すための祝日と影のうすくなった「敬老の日」が制度の変化を象徴的にあらわしているように思われます。

高齢社会こそ、高齢者の知恵と経験が生かされ、経済効果が最優先する社会ではなく、穏やかで誰もが安心できる社会であってほしいと願います。

理事長 鈴木 恂子


 

2014年8月 理事のリレーメッセージ

社会貢献事業の義務化?

車いすを押す介護職員

近年、税・補助金の優遇措置を受けながら社会貢献事業をやっていないのは怪しからんという社会福祉法人に対する批判がやかましくなり、遂に社会貢献事業の義務化ということになりそうである。ここで社会貢献事業とは、現社会福祉制度や市場原理の仕組みの中では救えない生活困難者に、法人独自の財源を使って手を差し伸べる事業をいう。
社会福祉法人と言ってもピンからキリで、介護保険制度に悪乗りしいわゆる介護ビジネスを展開している法人も少なくない。義務化は、こういう輩には意味があるだろうが、これまで長い間まじめに措置事業をこなしてきた多くの社会福祉法人にとっては、きわめて理解しづらいことである。
なぜなら、そもそも社会福祉事業を始めたのは、かかる生活困難者を看過できないからで、社会福祉法人の先行事例が基になり、社会福祉制度が徐々に整備されてきたからである。いまさら社会福祉法人は社会貢献事業をやれというのはどこか狂っている。
このような批判の嵐が吹き荒れるのは、本来の社会福祉には目を向けず、法制度内のサービス提供に現を抜かしている法人が目立つからであろう。
本来の社会福祉の精神を生かすべく日々努力している法人も決して少なくない。この機会に社会福祉法人の存在と事業の実態をきちんと多くの人々に発信することに我々は大いに力を尽くすべきではないか。

理事 相羽 孝昭
(社会福祉法人 アゼリヤ会 常務理事)


 

2014年7月 理事のリレーメッセージ

Fellow feelings

風鈴

我々職員は、法人創始者中城イマ元理事長の信念を法人の基本指針とし、年度毎の事業計画に、理念として掲げ、肝に銘じています。

4つの信念のひとつに 「利用者に深い共感をもつ」 とありますが、“共感”とはどういうことを言うのでしょう・・・
辞書には、“他者と喜怒哀楽の感情を共有する” とあるものの、けして容易いことではありません。

昨年の暮れ、それまで病気ひとつなく元気だった母が慢性硬膜下血腫を患い、それを機に、90歳にして はじめて介護認定を受けました。
利用する家族の身になり、家族の目線で多くを経験し、考え、学び、苦悩し、当事者としての気持ちを実感しました。

共感をするには、まずは「実感」することが欠かせない要素だと感じました。
むろん まったく同等な状況下での経験は、簡単には実感できないものの、ご利用者、ご家族の状況を深く理解すること、同じ視線で全体を観ることが実感そして共感への一歩だと思います。

いままで、けして安易にではないものの、共感という言葉を何とはなしに使ってはいなかったかと 今更ながら自問しました。

理事 坂本 卓穂
(岩本町ほほえみプラザ館長)


 

2014年6月 理事のリレーメッセージ

岩魚のひれ酒

渓流

平成24年5月13日(日曜日)晴 府中市医師会から8人のDR.と奥様、子供、従業員など総勢16人が京王観光のバスに乗って山梨県にある道志川渓流フィッシングセンターへと向かいました。
両側の緑したたる山あいを流れる道志川に、やまめ、いわなを放流し、それを釣り上げるのですが、なかなかうまくかないのです。餌はイクラです。そのイクラを釣り針に引っ掛けて流すのですが海の魚ほど曳きは強くないが面白い! 皆さんは大体5~10匹位釣ったでしょうか? 午後一時過ぎには昼ごはんを兼ねて宴会を始めました。
途中のコンビニで仕入れてきた弁当とか缶ビールを飲みながらです。ワイワイガヤガヤでいろんな話は尽きません。16人が車座になって喋るのですから何を話しているのかもわかりません。
そのうち誰からともなく「ひれ酒」の話が出てきました。今日の参加者は子供を除いて皆さんが酒を飲みます。
ふぐの「ひれ酒」は聞いたことはありますが、いわなの「ひれ酒」は聞いたことがなかった。
バスで府中をでるときにはもう一人参加する先生がいました。その先生は急用ができて行かれなくなったということで、日本酒の一升瓶2本を差し入れてくれました。
誰からともなく日本酒があるから「いわな」のひれ酒を造ろうということになりました。500mlのビールの空き缶に酒を入れて温め、その中に焼いた「いわな」をいれて温めるのです。
美味かったですね!
あっという間に2本の日本酒はなくなりました。
楽しい1日でした。

理事 田口 俊夫
(田口医院院長)


 

2014年5月 理事のリレーメッセージ

ベビーシッター、2歳児死亡事件に思う

バラ

今年3月、ある母親が、インターネットの「紹介サイト」を通してベビーシッターを依頼し、0歳児と2歳児を2日間預ける契約をしていたが、2日目に2歳児の男の子が、死亡していた、という何とも痛ましい事件があった。規制緩和以降、こうした民間レベルの「保育、預かり業」なる商売が個人で自由に開業出来ていることに驚く。しかもこうした痛ましい事故があった後でさえ、依然として「紹介サイト」を通じたベビーシッターの利用が続いているという。若い親たちの生活、仕事や社会活動様式が変化し、家族・親族網が拡散し、関係が希薄化して保育、子ども預かり機能が弱まっている上に、近隣地域での関係も希薄な中で、こうした臨時の突発的な一時的保育ニーズが、解決できずに、困っている実態があるということだ。こうした臨時的一時的保育ニーズに、多摩同胞会は府中市から委託されている「たっち」のファミリーサポート事業や「リフレッシュ保育事業」で、対応している。こうした機会に、これらの機能を拡充して、多様な臨時的一時的保育ニーズに応える、子育て支援サービスの仕組みを一歩前進させる工夫はできないものだろうか。

理事 小笠原 祐次


 

2014年4月 理事のリレーメッセージ

春を迎える季節

桜

「冬きたりなば春遠からじ」「うららかな春はきびしい冬のあとからくる」
節分をすぎ花屋にパンジーやさくら草が並びはじめるとこの言葉が頭を去来します。
前者は中城元理事長がよく口にしていた言葉、後者は私が10代の終わり、受験期を支えた言葉でした。
今年はとりわけ寒冷な日が多く、二月に入ってから週末の連続大雪、彼岸の入りはまだ寒く、春分をすぎてやっとあたたかい陽ざしに恵まれるようになりました。そして一気に桜がほころび三月末日に満開を迎えました。
あたたかい陽ざしの中、桜満開の4月1日に新たに新人職員を迎え、各施設の組織も整い新年度がスタートします。

私たちの法人も68年目を迎えます。社会福祉をとりまく環境も大きく変化し、ともすると介護サービス、子育て支援サービスとサービス業にのみこまれる状況が加速しています。社会福祉法人にとっては今は冬の時代を迎えています。この後、春に移っていくのか、グローバル化・競争社会・経済効率優先のなかで更に厳しい寒さが深まっていくのか先がみえません。しかしいつの時代も支援を必要とする人々がいます。ご利用者に対してはあくまでサービスの向上に努めるとともに、一方で社会福祉法人としての原点を忘れずに高齢者福祉・児童福祉・地域福祉の向上のためにすすんでまいりたいと思っております。
新しい年度を迎え、一同心新たにスタートしております。
今年度ご指導ご支援のほどどうぞよろしくお願い申し上げます。

理事長 鈴木 恂子


 

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