社会福祉法人 多摩同胞会

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理事のリレーメッセージ

理事10名が個人の経験や考えについて、毎月交代でメッセージをお送りします。

   

2024年度(2024年4月~2025年3月)

2024年10月 理事のリレーメッセージ

生産性向上推進とは

色づきはじめたイチョウの木

当法人ではご利用者の記録に、「ケアカルテ」という電子記録システムを使用しています。記録システムを導入したきっかけや、システムを入れる前との比較などを考えてみました。入職当時(約30年前)は紙の記録を使っていました。紙のサイズもB5判だったのを思い出しました。

介護保険制度導入の際に法人独自の記録システムに変わりパソコンでの入力になり、5年前に今の記録システムに変更となりました。以前は職種ごとに記録を行っていて、同じ内容の記録をそれぞれが行っている事が常でした。今はナースコールや見守り機器とも連動しており、これらも記録に残ります。記録が一元的になったことで様々な専門職が協働してご利用者の生活を支えるためにはとても有効です。

令和6年の介護報酬改定では表題の生産性向上を推進することが求められるようになりました。業務を効率化し職場環境を改善し人材の定着や資質の向上を図り、ご利用者の豊かな生活を実現していくことが求められています。一方で厚生労働省が進める科学的介護の推進では記録の種類は増えており、記録に時間を取られているのも事実です。

介護の現場に生産性向上をどのように取り入れ、今後の介護の行方はどのようになっていくのか。常に考えながらICTを活用し、生まれた時間をご利用者との大切な「ひととき」にできるようにしていきたいと思います。

理事 岡村 敬子
(緑苑 施設長)


 

2024年9月 理事のリレーメッセージ

遠くなる敬老の日

感謝の花束

私は当法人で白鳥寮・信愛寮・信愛泉苑・泉苑ケアセンター・あさひ苑に職籍をおいてきました。
いずれの施設にも思い出深い方が多くおられますが、まず浮かぶのはあさひ苑開設当初のご利用者100名の中のおひとりとして出会ったI田さんです。
I田さんは戦後の混乱期に児童施設で過ごされ、自分ひとりで生き抜いてこられました。晩年、アパート暮らしは火の不始末が心配、生活ができないのではと近隣の方々の不安の声が高まり、居住市の担当者があちこちの施設に同行したそうですが、なかなか決まらず、あさひ苑にいらしたときに「ここなら入ってもいいか」とようやく納得されたとのこと。
まだまだお元気で、本来なら特別養護老人ホームの対象ではなかったと思われますが、「ここしかない」と市の決断があったようです。

「苑長も大変だなー、ちっとももうからない仕事で苦労ばかり多くて」と会うたびにこう言葉をかけて下さり、その声が今も蘇ります。
あさひ苑の生活になじまれ、ホーム内で他のご利用者の車いすを押したり、買い物に行ったり、誰にでも話しかけて、動きの少ないご利用者同士をつないでいました。他にも歩行に不自由はないけれどひどく気難しい方や、きちんと着替えられバッグをもってシャカシャカ歩かれている方など、それなりに活気に満ちた生活の場でした。

府中市立あさひ苑は老人福祉法の特別養護老人ホームとして1993(平成5)年8月に開設し、7年後2000年4月から介護保険制度に移行しました。特別養護老人ホームが福祉施設から介護サービス提供施設になり、2006年からは要介護度3以上の方が入所対象となりました。
2024年の現在、名実ともに介護サービス提供施設です。ご利用者同士の自発的な交流も少なく、職員とご利用者の1:1の関係が目立つ日常です。

1990年代に特別養護老人ホームで出会った方々-介護の必要性は低くても、「福祉施設」で生活の継続が維持できていた方々はいまはどこでどのように生活されているのでしょうか。
内閣府の「孤独・孤立化対策官民連携」や国土交通省と厚生労働省の居住支援など、新たな施策はかつての福祉力を回復することができるのでしょうか。介護保険制度施行から25年目の敬老の9月を複雑な思いで迎えます。

理事長 鈴木 恂子


 

2024年8月 理事のリレーメッセージ

仕事のための人生

水族館のクラゲ

とある居酒屋での出来事です。隣のテーブルで若い男性が仲間の到着を待っているのか、一人で携帯を見ながらビールを飲んでいました。ほどなく一人また一人と仲間が到着し、最後の一人が到着した時に、その友人に向かって少々怒気を込めた声で「お前の人生は仕事のための人生なのか?」と何度か問いかけていました。待ちくたびれたのでしょう、仕事を理由に遅れてきた友人に文句の一つでも言いたかったのだと思いますが、なかなか哲学的で、実に深い問いかけに耳を傾けさせられました。もちろん、その後、彼らがそのテーマを酒の肴にするはずもありませんでしたが。

さて、以前、機会があって、川崎にある日本理化学工業株式会社の工場を視察したことがあります。この会社の障害者雇用への取り組みは有名で、しっかりと戦力として生産ラインに障害者を配置していました。何よりも驚かされたのは、生産ラインで仕事に向かう障害者たちの姿です。生き生きしていて、どこか楽しそうにすら見えました。今は亡き先代の社長さんは、当初頼まれて障害者を2名雇用することになったそうですが、雇用してみて彼女らの働きぶりに感心し、ある時法要で訪れた禅寺の住職になぜ彼女らは働くのか聞いてみたそうです。すると、導師は、人間の究極の幸せとは、人に愛されること、人にほめられること、人の役に立つこと、人から必要とされることの4つで、働くことによって愛以外の3つの幸せは得られる、だから彼女らが働くのは本当の幸せを求める人間の証だと云われたそうです。そして、その社長さんは、その後多くの障害者を雇用していくうちに、働くことによってその愛までも得られるのではないかと考えるに至ったそうです。

働くことによって人間の究極の幸せをすべて得ることができるので、働くことは、人生における幸せ探しということなのだろうと思いますが、冒頭の居酒屋の彼の問いに対する回答にはなっていないですね。仕事をしているとなかなか予定した時間通りに事が進まなかったりするもので、夜の集まりに慌てて駆け付けるという経験は誰しもあると思います。遅れる時は、何のための人生なのか、しっかり考えてから行った方がいいのかもしれません。(笑)

理事 松岡 一臣
(公認会計士・税理士)


 

2024年7月 理事のリレーメッセージ

養老院ことはじめ5

前回、明治初年の困窮者救護施設、「義育舎」の紹介をしたが、困窮者の救護施設には必ずと言っていいほど高齢者・老人は入所(収容)されているために、養老院名簿などには「養老院」名称ではない救護施設が登場してくる。
そうした施設の一つとして、江戸時代中頃、宝暦年間(1760年代)に滋賀県で設けられた「高宮賑窮舎」を挙げることができる。困窮者救済の施設の前身はそんな時代にまで遡るということである。
中山道の宿場町であった高宮村に、宝暦時代、庄屋の谷沢新助が「報謝多屋」を造り、鰥寡孤独の者や貧困な住民を収容し、米銭を給与し生活を助けたことにはじまったと、昭和11年刊の『大日本社会事業年表』に記述されている。この「報謝多屋」は、どのような事情からか、約80年続いて、天保10(1840)年に廃止されている。それが幕末の混乱期、慶応2(1866)年に再び高宮村の庄屋、北川忠四郎らの手で「報謝宿」が設けられ、復活した。(続く)

理事 小笠原 祐次


 

2024年6月 理事のリレーメッセージ

民主化と戦争回避の英知

帝国の滅亡
第一次世界大戦(1914年~18年)は、スペインを除く大部分の欧州諸国と、アメリカ、ロシア、トルコが参戦し、その結果、4つの帝国が滅びました。ロシア帝国はロシア革命により、オスマントルコ帝国はアタチュルクのトルコ近代化により、オーストリア・ハンガリー帝国はチェコなど被支配国の独立により、ビスマルクのドイツ帝国は敗戦により、いずれも滅びました。しかし、これらの帝国の消滅は、その原因に着眼すると、20世紀の民主化への道に連動しているという見方もできるのではないかと思います。

第二次世界大戦
第一次大戦後、ドイツは一時的にワイマール憲法による民主体制を選びましたが、巻き返しを標榜するヒトラーの支配を受け入れ、第二次世界大戦となり、民主主義制度は軽視されました。

第二次大戦後の民主化のひろがり
第二次大戦後の「独裁」は、ソ連による実力行使を特徴としています。ドイツは東西に分断支配され、東欧諸国は「プラハの春」に示されたように、ソ連の意向に反する民主主義的言動を戦車が数時間でつぶす、というものでした。
しかし独裁の下でも、政治家として勇気ある選択がありました。その一つは、1962年のキューバ危機(中距離核ミサイルのキューバ配備)で、米国の強硬姿勢を前に配備を中止したというフルシチョフ首相の平和維持の選択です。二つは、ゴルバチョフ書記長がサッチャーら西側首脳と信頼関係を築いて、1989年のベルリンの壁の崩壊が象徴する民主化を実現(しようと)したことです。民主主義が社会運営の手段として、その「承認」圧力が広範に存在していたのです。

戦争の回避―勝者はいない
こうして民主主義への歴史を見てくると、実力による隣国への侵攻がいかにアナログ政策であるかが痛感されます。侵攻国も実力をはるかに超える戦費調達の結果、国民生活に窮乏がしわ寄せされ、数多の青年を戦死させ、戦後復興の担い手を失い、さらに戦後にハイパーインフレのリスクを国民に強いることにもなりかねません。侵攻者も決して勝者になり得ない。戦争回避こそが人類の英知だと痛感します。

理事 板垣 光繁
(弁護士)


 

2024年5月 理事のリレーメッセージ

my own words -自分の言葉を-

新緑の山

仕事をする上で 大切な視点として挙げたい要素には
コミュニケーションと気づきがあります

ヒトによってはもちろんのこと 用いる時代や環境等で
言葉のもつ意味あいが異なることも しばしばあります
相手に気持ちを正しく伝えることはむずかしく
時には誤解を招いてしまうことさえあります

コミュニケーションのスキルアップ研修で リフレーミング
文字通り 枠組みを替える演習がありました
例えば 短所を長所に置き換えてみる
「一つのことに集中できない」は 「多岐にわたり興味が旺盛である」
とか 「ひろい視野でものごとがみれる」
などと他者に置き換えてもらうと なんとなく嬉しいものです
また 断定的に事実を言い放つより 私はこう思うのだけど などと
前置きをした言い方にすることで 感じる印象も違うものになり
相手を尊重することで コミュニケーションが取りやすい環境になります

先日 通院帰りに ふと入った本屋さんで タイトルに魅かれ 「あなたの言葉を」 を手にしました
作者は辻村深月さんで 毎日小学生新聞に連載している記事をまとめたものだそうです
小学生に語る文の調べは とても 優しく わかりやすく 綴られていて感動しました
多くの子どもたちに この本を読んでもらい 「自分の言葉」を見つけて
感じた気持ちを なんでも話せるようになれることを願います
大人たちも あなたの言葉 を 一緒にさがしてあげられればと思います

もうひとつは 常にアンテナを高く持ち広角度にものごとを窺うことです
昨日できたことが、なぜ今日はできないのだろう
なぜこの人は いまここにいるのだろう
お返事をくれないのはなぜだろう
いつもとは違う事象に常に疑問をもつことにしています
朝の連続テレビ小説での 「はて ?」 にしても 私が日頃から大切にしているキーワード「WHY ?」と
通ずるものがあり 結果さまざまな 気づき を促します
疑問を解明することで  ああそうかと安心することもあれば
起こってはならないことを未然に防ぐこともできるのではないかと思います

ともあれ 心地よい季節になりました
わたしは 桜咲く より 若葉萌ゆ の まさにいまの時季が好きです

業務執行理事 坂本 卓穂


 

2024年4月 理事のリレーメッセージ

令和の福祉

桜

私が社会福祉の仕事に就いた1960年代半ばのホームのご利用者はすべて明治生まれ、戦時の傷跡を深く刻んだ方々でした。
大正・昭和・平成・令和と時代が移り、明治や大正生まれの方を親に持つ昭和世代の方々が令和のご利用者です。
時代とご利用者の変化、法人の事業をたどってみると、改めて社会福祉の仕事は時代と社会をリアルに映す鏡のように思われます。

令和に入った翌年2020年1月から2023年5月までは社会全体が新型コロナウイルス感染症対策一色になりました。2023年度は社会福祉法人の仕事にも色彩が戻ってきました。

2000年度の社会福祉の基礎構造改革も大きな転換期でしたが、25年の間に生じた様々なひずみを埋めるように、地域包括ケアシステム、共生社会等をキーワードにした地域づくりがすすめられ、全世代型社会保障が政策の柱となりました。いわば令和の新しい福祉の方向性ともいえます。
全世代型社会保障は、(1)将来世代の安心を保障する (2)力に応じて全世代が支え合う (3)個人の幸福とともに社会全体を幸福にする (4)制度を支える人材やサービス提供体制を重視する(5)社会保障のDXに積極的に取り組む という5つの基本概念が示されています。2024年度の介護報酬の改定もこうした政策を背景にしているようです。

今後どのように具体化されるか未知数ですが、今は改革の方向性を前向きにとらえて、地域のため、ご利用者のため、職員のため「令和の新しい福祉」に向かって脱皮していく年のように思います。

職員層もいわば5世代目のメンバーが法人各事業の中枢を支えています。
新年度もみなさまのご支援ご指導を心よりお願い申し上げます。

理事長 鈴木 恂子